信じる者は救われる
2021.8.5
ここで小咄をひとつ。
信じる者は救われる、という格言がございます。
宗教でも思想でも結構です。よく槍玉に挙げられるこの言葉ですが、
信じるだけでは何も起こらない、と私は想うのです。
ただ、成功者に何かに対して信心深い方が多いことはよく語られる傾向にあります。
それは単に、後世に語られるストーリー創りとしてのスパイスであったり、
その者の自伝を脚色するためのエッセンスであったりと様々な邪推は枚挙にいとまはありませんが、
単純に信ずる心、というものには、大変に強いエネルギーが秘められている。
私はそう信じております。
弱き者には心のよりどころを与え、強き者には自信と決心をもたらす。
成功者の皆様方には己の経験則がすなわち疑似的な信仰対象になっていらっしゃる方も、
多くいるのではないでしょうか。
自己における自分を神格化し、決断と立ち振る舞いから迷いを断つ一種の自己暗示にも似た作用。
それは信ずる心に他なりません。
迷いは人を迷わせます。
多種多様な在り方が許容される昨今、全てが正しく存在し、全てが誤って蔓延っているこの社会。
価値観というものは覆水よりも簡単に手のひらから零れ落ちてゆきます。
そんな都会の路頭に迷う男の背中に寄り添い、明るみへ優しく突き飛ばすのは往々にして女性の手のひらでした。
誰しも四六時の中、両の足で立ち上がれぬときは信ずる者、物、モノを失う時。
自分の信じた自分を信じれぬとき。
自分の崇めた思想に雲が翳ったとき。
自分が敬った先駆者を喪ったとき。
自分が夢見た希望を革靴で踏み均されたとき。
そんな、泣きじゃくる自分のこれからを信じてくれたのは、女性の慈しみでした。
聖母、というものはマリアのみを指す言葉ではございません。
強い男、と言うものは、信ずる心の傍らに聖母がいるものです。
男尊女卑を勧めるでも、ジェンダーレスを卑下するでも御座いませんが、
ただ、私が出会った強い男はそんな信心深い男が多いように思います。
出逢いというものは奇跡で縁取られております。
巡り逢いに身を任せる事も許されぬ多忙な昨今、そんな強くありたいと願う男達に私共ができるのは、
男の背中に寄り添える女性との、邂逅の場を設ける事。
信仰心は決して必要不可欠なものではございません。
ただ、信ずる心は迷いを絶つ刃となり得ましょう。
その手に携える光の一閃に、私共の銘が刻まれることこそ、何物にも代えがたい喜び。
そういう想いで日々、受話器を握る今日この頃で御座います。
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