艶書を語れば静かな日常にドラマが始まる
×(カケル)シリーズ第九弾
有末 舞伊湖
2020/8/14
筆者:中居
文字数 1276 写真 6 枚
西瓜や南瓜が美味しい季節となってきました。
長い梅雨も明けた頃、刺すような日差しを受けたアスファルトは灼け蒸した空気を歪めて遊ぶ。
ゆらめく蜃気楼は男と女の夜伽のようにはっきりとせず幻想的で伸ばした手は空を切るが、確かにそこに存在している。
人間は不思議なもので、生きとし生けるに必要な食事・睡眠等は欠かせないのだが
心を満足させることを主たる目的とした遊興もまた欠かせない。
それらに身を投じる者たちに、充足感やストレスの解消、安らぎや高揚などといった様々な利益をもたらす。
古くより我々は「会食・お酒・色ごと・博打」と言った娯楽に興じる、道を解して自ら楽しむこの人間独自の道を「道楽」と表現する。
そんな人々の欲望、一見相反する社会との共存はむつまじく。
社会的活動の傍らで、エンターテイメントはより盛り上がりを見せていくものだ。
普段は某システム会社で働き週末になると
ワインを求め人気の少ない名店へと足を運ぶ。
グラスに注がれたボルドーの赤が彼女の頬を紅に染める。
ルージュが残ったグラスを傾け、惚けた視線を隠そうともせず、今宵の深い味わいとの邂逅に喜びを感ず。
そんな夜が、彼女には似合っている。
会食が多く、様々なお店へ足を運ぶ。
ジャンル問わずにお酒と会話が楽しめるシチュエーションを愛し、とりわけ和食を好み日本の繊細な味覚と色彩に惚れているという。
とある日彼女はこう話した。
「食事ってエンターテイメントだと思いませんか?
五感をフルに楽しませてくれるし、一緒に食べる人との記憶にも残ります」
その瞳は、通り過ぎた思い出の写真を広げ懐かしむようで。
「そこで笑いあって楽しんだり、プロポーズされたり感動泣きしたり。
いろんな人の食事の場でいろんなドラマが起っている」
「男と女の慕情には欠かせないし、こんな素晴らしい体験は食事と共にあります」
確かに私たちの暮らしで時間的にも心理的にも満たされるとき、食事というものは常にそこにあると感じた。
それはふとした会話の中から伺えて、
「昨日何食べたの?」
この一言は誰もが口にしたことがあり
誰もが聞かれたことがある問いである。
なにげなくする会話の中に人は、無意識下で食事への好奇心を抱き食べることを愛し、それを通して男女の絆も深めていたことに、彼女の言葉で気付かされた。
人が文明を紡ぎ連ねてきたこの幾千年、常に傍らにあった食事、という概念。
ひとえに”食への愛”が紡ぐ、幾千万の想いが奏でるのは、時、場所、空間さえも演出する、男女の幸せのレシピ。
そんな男女の営みの傍らに、添えられた料理たちのなんと愛しい事か。
今この瞬間も、世界中でいろんな人たちを幸せにしている料理達。
こんな世の中だからこそ、食事くらいは心から楽しみたい。
「据え膳食わぬは男の恥」
と昔からの教訓が指し示す本質。
目の前にある食事も時を共にする女性にも、
感謝し敬意を払う事が紳士の道楽、なのかもしれません。
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